上地流空手とは
上地完文が、約100年前に中国福建省で学んだ拳法を元に創始された空手流派。
沖縄では三大流派の一つに数えられ、隆盛を誇っている。
近代中国拳法の技法をそのまま伝えている点と、打撃によって全身を激しく鍛えるところに特徴がある。
2018年4月21日に、上地流開祖、上地完文翁銅像除幕式が、完文翁生誕地の本部町にある「八重岳桜の森公園」で行われました。空手開祖の立銅像は沖縄県内初となるものです。
上地流の特徴
上地流の基本をなす形は「三戦(サンチン)」である。
この形は単純に見えるが、立ち方、構え方、進み方などその動きは、上地流の特徴とする武道空手の術技を修得する上で、もっとも重要である。
三戦を反復練習する事により、心と技と体が同時に練られ、心技体の基礎を司る呼吸法が、同時に修練される。
三戦を繰り返すことにより精神力も強まり、耐えうる力、打たれ強い体、攻撃技、守備技、瞬発力、を高めることが出来る。
稽古の特徴として上げられるのが小手鍛えである、互いに激しく小手を叩き合って鍛え攻撃力、防御力を強化する。
上地流の攻撃技の特徴として、指先、足先を使った技が多見られるが本来、上地流の打撃技に、正拳はなかったので、貫手や拇指拳を使うことが多く、蹴り技においても足の指先を固めて蹴る、足先蹴りを特徴としている。
上地流の拳質は、龍、虎、鶴、の拳で特性はこの3種の動物の攻防の原理を、体系化したというところにある。
上地流空手の起源
上地完文(1877~1948年)を始祖とする空手道の流派。明治30年(1897年)、完文は拳法を学ぶため、中国福州に渡航。
その後間もなく、当地の拳術匠・周子和に師事。
13年間、わたって虎拳(パンガイヌーン拳法)を修行、体練型の「三戦(サンチン)」「十三(セーサン)」「三十六(サンセーリュー)」の3つの型と「小手鍛え」の技法を伝授された。
帰国後、大正15年(1926)和歌山市に社宅道場を開設する。
1932年(昭和7年)に道場名を、〈パンガイヌーン流空手術研究所〉とし、拠点を沖縄に移し伝授を本格化する。昭和2年、 完文の長息、完英が17歳の時、父完文から中国直伝の秘技パンガイヌーン拳法を師事。1940年、流派名を(上地流)と改め、 道場名も「上地流空手術研究所」とした。
琉球古武道とは
琉球古武道とは、棒、釵、ヌンチャクやトンファーなどを使って型を修練する、沖縄古来の武器術です。これらの武器は、もともとは日用品や農耕具などに由来しますが、先人達の工夫と努力によって、攻防が一体した実践的な武器となっています。
人を斬る目的のために極限までとぎすまされた日本刀が美術品としての美しさをもつように、また実用品の最たるものである工業製品にもある種の実用美があるように、琉球古武道の武器術にも、洗練された美しさがあります。その美しさは、全ての型や動きが、長い年月をかけて磨かれた合理的な法則にのっとり、身体操作を極め尽くしたからと言えます。
この法則は古来武道の達人が、或は師伝により、或は自らの苦心修練の結果、身をもって感得したものです。 そこでこれらの先人は苦心修練の間に、発見或は体得した攻防の効果的法則を記憶に便利なように、また修練に容易ならしめるために、それぞれ型を案出し、その型に基づき修練し、この道の研鑽をつんだ者によって伝承され今日に至ったのです。
かようにして案出され伝承された型でありますから、型を仔細に研究すると、攻防の技が実に巧妙に組み合わされ、今更ながら先人の苦心の程が偲ばれるのであります。 従って修練に当たってこれら先人の苦心の末案出されたその型の意義を理解し、注意深く冷静沈着に礼を失わないよう留意する事は勿論、常に敵が相対峙している心構えで仮想敵を頭に描き真剣に行わなければならない。そして単に型を知るだけではなく、型に含まれている攻防の技を修得し、その応用変化を研究して、如何なる攻撃にたいしても対処し得るよう反復鍛錬しなければなりません。
なお、型は以上の如き精神的武術的意義のみではなく、その組み合わせが生理学的に考案されているので、全身運動としても効果があり、からだ全体の均整をととのえると共に動作の敏捷性がますのであります。更に一人で練習を行なうことができるので無理する事がなく、老幼男女年令を問わず容易に練習する事が出来ますので、体育としても理想的な意義と価値をもっているのであります。
琉球古武道の武器
棒・棍
沖縄の棒の起源は、色々あり農具のかつぎ棒説、槍、また中国の棒説等があるが定かではない。しかし現在伝わっている多くの形名が沖縄の人名や土地の名で残っている事から、技の体系は琉球の人の手によって編みだされたものと考えられる。中国の棒との大きな違いは、中国の棒が細くしなる棒(皮膚を切り裂く)であるのに対し、沖縄の棒は固く太い棒(骨を砕く)であることが挙げられる。
釵(サイ)
釵の文字は、「かんざし」を意味しているが、もともとは人体の形を模したインドの仏具より考案されたと言われている。琉球王朝時代には、現在の警部に当たる大筑(うふちく)と呼ばれる人々が携帯し、位を表すと同時に、護身や群衆警備、誘導等に利用したとされている。
ヌンチャク
流派、地方によってヌウチクとも言う。この武器の由来にも諸々の説があるが、その一つに馬につけるムーゲー(くちわ)が、有力な説として挙げられる。ヌンチャク は、理不尽な暴力や多人数の暴漢に対してその相手の攻撃力を弱め、沈静化するのが本来の目的であり、自ら攻撃的に使用するものではないとされる。そのため、ヌンチャクの形は常に受けから始まる。
鉄甲
鉄甲は、もともとは農耕用に使われている馬蹄だったもの。拳に付ければ空手の拳技がそのまま使えるため、習得が早く、効果的な武器として重宝された。馬蹄に角(スパイク)が付いた形をしているが、練習においては怪我を避けるため、先を丸くしたものを用いる。
トンファー
短い棒に取っ手がつき、カタカナの「ト」のような形をした武器。棒やヌンチャク等と比較しある程度の鍛錬が、必要とされるが、振り廻す、突く、払う、等の多彩な動きで攻撃と防御のバリエーションが豊富で実用的なため、世界各国の警察組織で正式採用されている。この武器も起源には諸説あり、石臼の取っ手説、農業耕作用のヘラ説、等があります。
ティンベー
ティンベー術は、ティンベー(=盾)とローチン(=矛)を持って一対となる。盾は、かつては竹や皮、亀の甲羅等で作られていたようだが、最近は、軽合金や木製など多様な材質が使われている。矛はローチンと呼ばれる小刀を用いるが、青竜刀を使う場合もある。
二丁鎌
農具の鎌がそのまま武器として使われているもの。琉球の古武道具は、昔の農業器具と関連性があるものが多く、 そのものが改良されずに使用されている鎌は、典型的なものであるといえる。刃物を使っているだけに実践的だが危険性も高く、これを練習するのは高段者に限られる。
エーク
小舟を漕ぐ櫂の事を琉球の方言でエーク(ウェーク)とよぶ。漁師が使っていたものがそのまま利用されたものであり、これもまた沖縄らしい武器と言える。相手に砂を 掛けて目潰しをして攻撃する動作等、形では砂浜での戦いが想定されている。
実戦琉球古武道組手(硬式・軟式)
琉球古武道をより実戦的に落とし込んだ組手です。
防具を着け、古武道組手専用の棒で組手を行います。中学生以下はソフト素材の武器(棒、ヌンチャク、トンファー等)を使用して組手を行います。
中学生以下の軟式組手は武器のみの攻撃となりますが、高校生以上の硬式組手は、棒の攻撃の他に空手の突きや蹴りがあるため、より実戦的な試合になります。